2007年5月4日号
関東地区 名賀敏之さん&リヨ子さん
明るい太陽の下に自然と共生する人びとが見事に調和し、
訪れる人びとを暖かく迎えいれてくれたケアンズ
|
ロングステイで人気の高い「マレーシアペナン」と「ケアンズ」に、それぞれ2ヶ月の滞在をした経験談です。
ペナンは、10年前に夫婦で観光に来た時の好印象が再訪を決めました。住まいはペナン最大の街ジョージタウンの中心地に近い標準よりかなり広い2ベッドルームの高級に類するコンドミニアムでした。
マレーシアは多民族国家ということで、マレー、中華、インド等様々な民族の方が混在し、街は、食、服装、宗教、言語等が入り混じり独特の社会を構成しています。
ペナンは、島であるがゆえに思うほど暑くなく、嘗て"東洋の真珠"と呼ばれるほどの有名な国際観光地です。
しかし9.11事件、SARS、インド洋津波で様相が一転し、影響は甚大で、国の施策で観光振興はランカウイ島に移され、現在のペナン島はその面影はすっかり消えうせ、その一方で工業振興拠点に変貌しつつあります。
日本人長期滞在者にしてみれば、物価は安く、食事や果実の種類は豊富で、Pensionerでも日本と変わらぬ文化的生活レベルがキープできる申し分ない生活環境といえます。しかも東南アジアのほぼ中心に位置していることから、近隣諸国への観光旅行には実にコンビニエントといえます。
しかし、長期滞在者にしてみると、いまのペナンでの最大の難点は、現地の人たちとの交流が容易でないということでしょう。日本人にしてみれば、国のイスラムの慣習に戸惑い、中華系の排他的社会に素直に溶け込めないジレンマ、観光の衰退で文化芸術・音楽活動から接触の糸口さえつかまえることの難しさ。おそらく生半可な気持ちではペナン島でのロングの滞在では満足感は得られないでしょう。結果的に日本人村に埋没するのではロングステイの目的はいかがなものでしょうか。私たち夫婦は、ペナンから1年後、今度はオーストラリアケアンズを訪れました。
すでに帰国して1年近くなりますが、なぜかケアンズは今まで観光や長期滞在で訪れた国の中でも、最も心に響く刺激をもたらしています。その余韻は、いまだに濃密さを失っていません。
ケアンズは訪れる人びとを魅了する不思議な町です。最古の熱帯雨林と地球上最大のグレートバリアリーフの2つの世界自然遺産に囲まれた稀有な土地ではあるが、世界地図帳で探すのも苦労する人口たった13万人足らず(ハワイのホノルルは37万人)のちっぽけな町です。そんなケアンズがなぜゆえに世界的に名が知られ、多くの人が訪ねてくるのでしょうか…。
そこには明るい太陽の下に自然と共生する人びとが見事に調和し、訪れる人びとを暖かく迎えいれる土壌があるからでしょう。
ケアンズ滞在中の感動を書き綴ったエッセイを、他の方にも分かち合っていただきたいと、いまもインターネットブログ*に公開していています。愚作にも係わらず反響は大きく、10ヶ月で2,000カウントを越えるヒットを数え、私たち夫婦と共鳴している方々が実に多くいることに驚いています。
(ブログ* :ケアンズの自然と人びと )
ロングステイは個々人により目的、意義が異なりますが、生きた情報を、効率よく入手できることが、充実感をより増幅します。
ケアンズには現地に特化した「CQLA」というロングステイ専門の総合コンサルタントがあり、ロングステイアにとって、実に頼もしい存在となっています。私たち夫婦も、誰にも頼らず物怖じせずずうずうしく、どこにでも押し入るタイプですが、たった2ヶ月の滞在では物理的にも不可能と思われた現地でしかできないホームパーティ、ディナーパーティあるいは未知のローンボール、ボランティアなどへ参加が、CQLAの藤井代表からの親切な問いかけで実現できたことは実に幸運でした。
ペナンにも現地で適切にアドバイスしてくれる方がいれば、もっと良い印象に変わったであろうと、ケアンズにきて思われてなりません。
いま64歳。ブログの続編、また次のライフステージを思い描きながら、時折オーストラリアの子供たちに教えた「カエルの折り紙」、アボリジニの人と楽しんだ「ブーメラン投げ」をいろんな場所で試演しています。
|